イタ子の口寄せBlog

現代社会に疲れたイタ子のBlog

自己破産はバンバンしていい

新年から怒られそうなタイトルです。

でも、私がこの感想を持つに至ったのは、過去の苦い経験があるからなのです。



現代社会では、経済的に一人立ちすることが「立派なこと」とされています。

自分の住まいの賃料、食費、水道光熱費などの生命の維持のために必要なお金、税金などの支払い義務のあるもの、結婚して、奥さんと子どもを養うお金、子どもを学校に通わせるお金。

これらをすべて、第一次産業から置き換わった、第二次産業第三次産業で賄う必要がある。



第一次産業と第二次・第三次産業の大きな違いは、直接お金をもらう労働か否か、というところ。

賃労働。

サラリー。

サラリーマン、サラリーウーマン。



高度に社会が発展して、第一次産業が主体だった世界から、第二次・第三次産業まで幅が広がり、人間が生きることはある意味非常に楽になった。

何しろ、直接お金をもらえる。

そして、そのお金で買えるものがその辺で簡単に手に入る。

自給自足で生きていたご先祖様の時代からは考えられないほどの恵みがあります。


食べ物が。
すぐ買える。
ひもじい思いをしなくてもいい。


電気は使い放題、暖房器具もあり、寒い思いをしなくてもいい。


喉が乾いたらすぐ水を飲める。


自分の努力だけで、お金がすぐに確実に手に入り、自分の努力いかんで、収入を増やしていける。



私はもう中年なのですが、私の父親の世代(団塊の世代)でこの環境が整った。

お祖父ちゃんの時代までは、もうちょっと不便だったはずです。

お祖父ちゃんは、職業は農業だった。小さな船も持っていたので、ちょっと魚も捕ったかもしれない。

大正~昭和初期の実家近辺の状況というのは想像がつかないけれども、商店は街にはあっただろう。
でも、現代のように頻繁に買い物をできる、というようなものではなかっただろう。

おそらくお祖父ちゃんまでは井戸で水を汲んでいたはず。米や野菜を作って、それを農協に入れてお金をもらっていた(の?システムよく知らないけど)。

それが今や、第二次・第三次産業で直接賃金をもらい、その賃金で生きていくためのお金を賄うのがデフォルトになった。

もちろん、昔と変わらず、第一次産業も職業の選択肢としてはあるけれども、大方の人にとってはその選択はあまり現実的ではない。

大多数の人にとっては、直接賃金をもらう第二次・第三次産業しか選択肢がない。



ここで、突然、「夢」というものが出てきます。

「夢」と、「現実」は、食い合わせが悪い。

「天ぷら」と「西瓜」ぐらい、食い合わせが悪い。

いや、正確には、「私の中だけで」、特別食い合わせが悪かった。


世の中には、「夢」を抱いて、「現実(賃労働)」と折り合いをつけて、夢を叶えようとしている人がいる。

「現実(収入)」が少し苦しくても、それは「夢」を叶えるために必要な先行投資で、「夢」もクソもなく、「現実(賃労働)」だけで生きろ、とは、誰も誰かに強制することはできない。




強制したんですね、昔の私は。




その結果、人の「夢」を奪い、人一人の人生を取り上げた。




借金ぐらいでガタガタ言うなっていう話なんですよ。

幸い、現代には、「自己破産」という制度がある。

どういうわけか、「自己破産」という制度がある。

どういう仕組みなのか、わからない。

何の権利なのかも、わからない。

ただ、「もう無理」となったときに、借金を帳消し(※語弊)にできる。




話は冒頭に返り、


現代社会では、経済的に一人立ちすることが「立派なこと」とされています。


自分の住まいの賃料、食費、水道光熱費などの生命の維持のために必要なお金、税金などの支払い義務のあるもの、結婚して、奥さんと子どもを養うお金、子どもを学校に通わせるお金。

これらをすべて、第一次産業から置き換わった、第二次産業第三次産業で賄う必要がある。



第一次産業と第二次・第三次産業の大きな違いは、直接お金をもらう労働か否か、というところ。

賃労働。

サラリー。

サラリーマン、サラリーウーマン。



高度に社会が発展して、第一次産業が主体だった世界から、第二次・第三次産業まで幅が広がり、人間が生きることはある意味非常に楽になった。

何しろ、直接お金をもらえる。

そして、そのお金で買えるものがその辺で簡単に手に入る。

自給自足で生きていたご先祖様の時代からは考えられないほどの恵みがあります。


食べ物が。
すぐ買える。
ひもじい思いをしなくてもいい。


電気は使い放題、暖房器具もあり、寒い思いをしなくてもいい。


喉が乾いたらすぐ水を飲める。


自分の努力だけで、お金がすぐに確実に手に入り、自分の努力いかんで、収入を増やしていける。




まぁでも、そこに「夢」がないわけです。
面白くも、楽しくもないわけです。



いや、自分の「夢」と、「現実(賃労働)」が合致している人もいる。

もしかしたら現代は、「夢」と「現実(賃労働)」を合致させるところまでやることが求められているのかもしれない。

でもまぁ、それができる人はほんの一握りの人かもしれない。
いや、案外多いのかもしれないけれども。

「俺は「夢」と「現実(賃労働)」を合致させるために努力をした!!」という話かもしれない。

お説ごもっともでございます。



それはそれとして、「現実(賃労働)」だけで生きろ、とは、誰も誰かに強制する権利はない。

ないよね、ないだろ、だって、

「借金をするような生活は良くない、借金をせずに、自分で自分の生きていくための金を現実的手段(賃労働)で稼ぐ、なんなら貯金もする。それが立派。そのためには現実的な賃労働を一生続けろ」

だなんて、そんな面白くもクソもない生活。



「夢」と「現実(賃労働)」が合致している人はいい。

「夢」と「現実(賃労働)」を合致させるための努力も偉い。

でも、みんなが大学に行って「夢」を叶えたら、コンビニで働く人がいなくなってしまいますね。


「夢」と「現実(賃労働)」を合致させている「努力の人」も、コンビニは使うわけだよね。私は「使うな」と言いたいけどね。

使うなよ、コンビニ店員を見下してるお前にコンビニを使う権利なんかあるわけないだろ。


かんわきゅーだい。


「「夢」と合致しない、つまらない「現実(賃労働)」だけをやって生きていくのが人生、立派」だなんて、他人に強制してはいけない。

そんな面白くもなんともない生活を続ける人生と、夢を追って借金して自己破産する人生、どちらかを選べと言われたら、間違いなく自己破産する人生の方を選んでいい。

全然いい。

借金ぐらいでガタガタ抜かすな。

借金しても死なないし、自己破産しても死なない。

そのあとも生きていける。

体が死なない限り、自分で死のうとしない限り、生きていける。

だから、自己破産、全然バンバンしていいから。