イタ子の口寄せBlog

現代社会に疲れたイタ子のBlog

一人一人の心の中に神社はある…のか?

神道アレルギーです。

とくに理由はない。

スピリチュアルブームだとかで、神社に行くような人に対するアレルギーかもしれない。

スピリチュアルなものが嫌い。

だから、ロンブー淳もあんまり好きじゃない。

この間Eテレの神社巡りの番組に山ちゃんが出てて、それでちょっと嫌いになった。

というぐらい、神社やスピリチュアルについてアレルギーがある。

でも、ホロスコープにはスピリチュアルにも適性があると出てる。

不安になると矢も盾もたまらずに占いにすがる。

不安定。

スピリチュアルが大嫌いなのにスピリチュアル要素満載なイタ子です。


こんなのをツイッターで読みました。

https://twitter.com/tonishi0610/status/1204538958639587328?s=19


私考えたの。

「神社に行かない人は、何かをないがしろにしてる」

果たしてそうなのかな?って。

結論から言うと、神社は人々の中にある宗教心みたいなものを、表した「結果」だと思うのよね。

まぁ、確かに神様はそこにいるということになっているけれども。

ん?結論がぶれてくるかもしれない。

だからさ、人間って、普段の生活の中で、「これは嫌だな」とか、「なんとなくこうした方がいいな」ということがあって(例えば、テーブルには腰を掛けない、とか)、それが宗教心のようなもので、それらを結晶化したものが神社なんじゃないかと思ったのです。

だから、わざわざ神社に詣でなくても、一人一人の心の中に神社はあるじゃん、という結論に持っていきたかったの。

でも、よく考えたら、神社には神様がいることになっていて、その神様にお願い事をするんだもんね。

説が怪しくなってきた。

まぁでも、やっぱり基本は個人だと思う。

人間(それは「日本人」なのかもしれないが)という生き物の中に、「これは嫌だ」とか、「神様にお願い☆」という気持ちがあって、それが現れた物が神社なわけじゃない。

だから、別に神社に行かなくても、人間なだけで、心の中に神社を持ってると思うのよね。

今日はこれに気がついてドヤ顔のイタ子でした☆