この世の嫌なとこ
この社会のさ、いきなり剥き身というか、いきなり200%全開で行かないといきなりリンチされるような感じが嫌いよね。シャレが利かないっていうかさ。
すべてにおいて余裕がないというか、なんでそんなに真剣モードなんだよっていうか、たかが人生なのに。
だからさ、まず家。家がさ、近すぎるじゃん隣と。関東。
近ぇよ。ホント貧乏くせえんだよな。建ってる家は立派だし、いい車も停めてるんだけどさ、自前のせっまい駐車場に。
家がビッチリビチビチ詰まってて、隣の家のインターホンが聞こえるとかどういうことよ。
そんで、その隣近所のまっとーな人間に、まっとーな民として土地と家を買って挨拶しに行くときに、5,000%出力全開で行かないと「感じ悪い」といってリンチされる、そういう感じがあるじゃない。
嫌いだわ。
そもそもさ、日本って、想定している人物像が究極に限定的っていうかさ。
「正社員」「土地」「家」「車」「その嫁」みたいな人しか人として認めてないもんね、その辺の人が。
「非正規」「アパート」「車なし」「自転車」「その嫁」みたいな人なんか、まぁ、それはかろうじて人だけれども、「正社員」たちからすれば、近所で関わるべき相手とはみなされないよね。その方が断然いいけど。
これが「無職」「アパート」「移動手段は徒歩のみ」「独身」とかだと、どうなるんだろう?っていうか、こっちも事前に察知して関わらないようにしようとしか思わないけれども。
生き方が狭いっていうか、選択肢がないっていうか、例えば「主婦」…というか、「結婚していて子どものいる女」だと、「結婚していて子どものいる女」同士で共通のコミュニケーションを取れないとそれだけでコミュニケーション強者の側の女が、コミュニケーション弱者の側の女を「感じ悪い」と断定して決めつけてそれを表してくる。攻撃してくる。そういうところが嫌い。
だから例えば、そんなことはまずないけど、私が誰かと結婚します。
そしてダンナは資金力があったので、その辺に土地を買い、家を建てます。
そして引っ越します。
そこで隣近所に挨拶をしに行きます。
その時や、そのあと道ですれ違った時とかに、出力5,000%で行かないと「何あの人、感じ悪いわよね」となる。
出力100%じゃ全然低い、全然足りない、「感じ悪い」と言われる、リンチされる(「あそこの家の人、感じが悪いのよ」と噂話をされる)。
出力5,000%でようやくどうにか。
人間ってだから動物なんだよな。
自分の認知の中に入ってきた人が誰であれ、特に自分が「コイツはいいや」と思わなかった人の態度がはかばかしく感じられないと、不愉快になる。
猿が目が合うと襲ってくるのと一緒。