イタ子の口寄せBlog

現代社会に疲れたイタ子のBlog

今、「日本(日本人)とは・・・」みたいなことを語りがちでヤバイ人は

「日本とは・・・」「日本人とは・・・」みたいなことを語るヤバイ人は、これまではダントツで黒鉄ヒロシだったけど、新たに加わってきたのが土井善晴

 

土井先生さ、前からちょいちょい、「ん?なんかヤバイな」っていうことを言ってるよね。

 

「日本人の基本・・・キレイ、汚い」みたいなことをこの間テレビで言ってた(別にキレイなのが好きなのは日本人に限らないと思うのだが・・・。私は日本人にも関わらず、汚好きだし・・・(まぁ多分土井先生はそういうことではなく、清いとか穢とか、その辺を言ってるんだと思うけど))。

 

だからその「日本人」ってなんなの?

血なの?血だとしたら民族?日本人って、血が同じ民族なの?

そして血が同じなら、感じ方や美意識も同じなの?

 

まぁ、冷静に考えて、いくら島国日本に住む日本人と言えども、「みんな血が同じ」ということや、「血が他の国の人より近い」ということはないと思われる(そりゃ西洋人よりは近いのかも知れないが、同じ日本人同士でも、韓国の人より血が近いってこともないと思う(よく知らないけど))。

 

それとも長きにわたるお互いの関わりの中で、「これが最上」「Win-Win」という妥協点、美意識を編み出して来た、同じ価値観を共有する共同体の仲間っていう意味?

 

それならまだわからないでもないんだけど。

 

まぁさ、日本という共同体の、長い歴史の中で、確かに連綿と続いて来て結晶化さた作法、習慣、建設的な生活というものがあるんだろうけれども、それは、各々の家に伝わっていて、それは少しずつ異なっているのではないの?

 

それとも「日本人」ならみんな同じなの?

 

作法や美意識の大本の家があって、そこから各家に「これがお手本」として伝わっているの?

だから「同じ日本人」なら、みんな感じ方が同じなの?

 

わかった、嫁に行くと伝わるんだ、そして平均化されていく?

 

なんか、だんだん、私が問題なのかも知れないと思ってきた。私、共同体とも切り離されて、家(テレビ)と学校の往復だけで生きてきたからな。特別「日本人」という感覚に乏しいのやも知れぬ。

 

私は、国と個人、どっちが先かで考えると、絶対個人の方が先だと思うから、やたら「日本」「日本」って、今を生きている人が、後から「日本」や「日本人」をなぞりに行ってるような感じがしてそこが嫌なんだけど。

 

生まれたときから近所に神社があって、自分もそこにお参りする。

それをやるのは普通で自然なことなんだろうけれども、そういうのと、黒鉄ヒロシ土井善晴の語る「日本」「日本人」はなんか違う気がする。

 

今よくよく考えたら、土井先生はそんなでもないけど、黒鉄ヒロシが日本や日本人を語るときの、「日本人は中国人や韓国人より感性が優れていてお互いフィフティ・フィフティ、正義感がある、仁義がある」という考え方が嫌いだったみたい。土井先生はそこまではゆうてない。

 

でも、土井先生、船場言葉使ってて、京都人みたいで、そこもなんか怪しい。

京都や奈良、和歌山は日本の暗部という気がする。偏見すみません。