イタ子の口寄せBlog

現代社会に疲れたイタ子のBlog

国と人間ってどっちが先なの

どうも、イタコ改め、イタ子です。



鶏と卵はどっちが先かはホントにわかんないんだけれど、国が先か人間が先かは簡単だよね。
どう考えても人間が先。

でもさ、日本ぐらい「歴史が古い国」ってことになってると、「国民」が自家中毒起こしちゃうっていうのかな?

黒鉄ヒロシのことなんだけど。


まぁただのボケ始めたジジイの繰り言だからそんなマジに怒ることがどうかっていう話か。


こないだの『ワイド!スクランブル』で「日本人とはこうあるべき…」とか言っちゃってさ(すぐテレビ消したから何言ってたかあんま聞いてないんだけど、元号が変わるときに道頓堀かどっかで飛び込んだ人のことを「本気で喜んでる。昔の日本人はそうじゃなかった…」とか言ってた)、その「日本人」って何を想定して言ってるんだろ?


血筋?遺伝?まぁ文化的な慣習とか思考パターンとかが美しかったとかそういうことなんだろうけれども。


でもなんで「日本人」とか、ホントにあったかどうかもわからないことをみんなに当てはめようとするというか、その「日本人」ってさ、武士辺りを想定してんのかな?「思考や行動が渋くて含羞を伴い美しかった日本人」的な?


まぁさ、確かにメディアが出来てからこっち、国民の悪ふざけは止まらないと思うけれど、別にいいじゃんね、「日本」とか「日本人」が変わって行っても。


そもそもあの騒いでる人たち元・土民農民百姓だし…。武士じゃねぇし…。


昔の日本だって武士だけで出来てたわけじゃないだろうし…。
それこそ土民がその辺で騒いでいただろうし…。




だいたいさ、「日本」「日本人」って最初からあったわけじゃないよね。

最初に人、個人や家族、親戚がいて、それが集団になって小国がいっぱい出来て、それが統合されて行って「日本」になったんでしょ。


その、「国」の前に、最初にいた、個人や、その集団に属する人間の感情や行動の発露が後に「日本人はこうだ」と言われるようになったっていう話で、別に最初から「日本人はこうだから、こうでなければならないから、そう振る舞った」わけじゃないでしょ。いや、私が知らないだけで、武士社会とかにはそういうのがあったのかもしんないけど(聖徳太子の「和をもって尊しとなす」辺りが怪しい気がする)。


「国力」ってグローバル時代には大事なんだろうけれども、だから「国民は一致団結が大事」っていうことなんだろうけれども、そのために「日本人とは…」みたいな「日本人はこうあるべき」論が必要なんだろうけれども、でもそもそも国って何かっていうと、個人の集まりなわけじゃん。


そんで、集団がお互いうまく生きていく上で、ルールが必要になる、それには「日本人はこうする、そしてそれは美しい」が必要、それはわかるんだけれど。


「日本人」とか十把一絡げにくくられても困るっていうか。
全体主義的観点から言えば「日本人とはこうだ」論は大事だし有効だけど、別に私「日本人」とかくくられて行動まで制限されたくないし。
「日本人はそうじゃなかった」とか言われても知らん。



私は東北の寒村出身で、土民の生まれなので、しかも共同体がぶっ壊れ、家と学校の往復、社会との関わりと言えばテレビだけという環境で「個(孤)」立して育ったお子さまなので、集団主義についていけないところがある。


でもこんな私も昔は自分のことを「日本人だ」と思っていた。


日教組みたいに屁理屈言うようになって、「私は""日本人""じゃない」とか言うようになった。



そもそも私は日本に降伏した覚えがないのに生まれたときから「日本人」ということになってることに納得行かないんだ。

みんなどうして納得してるんですかね?(ジャイアンの論理)